かたづけ、しまう

しまう、というのは、出す、ということだなと気づく。

 

先日、友人と話していて片付けや収納の話をしていた。

自分としても、あまり整理整頓や掃除、

片付け、どれも得意ではない。

それが得意ならもう少し上手に人生がすごせただろう。

実家の自分の部屋は大概の場合散らかっていて、

いつも少しは片付けたらどうなんだと小言を言われていたものだ。

 

ただ、実家を出てからは著しく部屋が散らかったことはまだない。

 片付けをするのにモノをしまっておく場所を

決めておくというのは、整頓には当たり前だと思うが、

それを話していて、モノを棚に収納するというのは、

実のところ、「モノを棚から出す」までが収納なのだなと気づいた。

モノは収納されるためにに部屋にあるわけではなく、

いずれ出して使われるためそこにある筈なのだから。

 

だので、モノを片付けるときに

「俺はこれを棚につっこむけど、また明日使うは出すぞ」

という覚悟を持つと、棚にものをつっこむのが楽になった。

読んでいる最中の本や、明日も朝から使うシャープペンや消しゴム、

色々な日用品を、出すぞと構えて棚に収め、そして良き時に出す。

片付けの億劫さが減ったような気がする。

オシャレ

せっかく都内に引っ越したのだから、

新宿に映画を見に行くにも自転車で行っちゃうよ、

などと調子にのってチャリンコ漕ぎだしたものの、

思ったよりもまったく時間がかかってしまって

結局上映三分前に到着していそいそとチケットを買った。

 

帰る道すがら、原宿から渋谷にかけての交差点、

信号を待っていると、甘い感じのブラウンや

ベージュでまとめたガーリーな格好をした

可愛らしい女の子がいて、チラチラ見ていた。

あー、ああいうの付き合うのもいいのかもな等と

よくわからん上から目線の感想を持ったあとに、

いやダメ、あれはダメと思い直す。

いいな、と思った格好をしているのが、なんだかダメだ。

というよりその格好に至ったメンタリティがダメだ。

 

オシャレやファッションというのは、自分にとっては、自己決定の

問題なんだろうと思う。

私が何者であるかを自分で決めるという事の問題に見える。

それと、少し不自然な事のように捉えている。

オシャレというのは、しなくてもいいことを

することだ、と自分は捉えているように思う。

何度も言った喩えだが、私服のネクタイ、アレだ。

別に付ける必要はまったくない。

あれは自分に言わせれば私が何者なのかと宣言しているに等しい。

小学生の時は、大体皆同じような格好をしていたのに、

なんだかどんどん色んな格好をするようになる。

 

「私はそれでいいのだ、そういうものなのだ。」

そういうものがなんだか怖い。

そういう自意識がどこで芽生えるのか、分からなくて怖い。

蛇かなにかのように得体がしれないように感じる。

これは多分、異性にヴァージニティを求めるメンタリティに似ている。

 

 

 

遺物を供養

 

gmailの下書きを見ていたら、SFを盛んに読んでいた頃に

感化されて、なにかそういう小説みたいなものが出来ないかと

カタカタ打ち込んだけど、あ、出来ねえや、とほっぽった文章が出てきたので

ここにコピペして供養しておきますね。

 

「例えば皮膚に分化してしまった細胞を筋肉に変化させることは出来ない。遺伝子情報の皮膚を設計した部分が成長の過程で二重三重に塗りつぶされてしまっているからだ。遺伝情報の隠された部分が顕になる瞬間はないのだろうか?実は、ある。精子と卵子が邂逅するその瞬間、遺伝子情報の前に引かれた暗幕は露となくなってしまう。不可能ではない、という希望をもってとうとう我々は 

〜中略〜 

そこで発達した模倣子から原初の状態に若返らせることはできないかと考えた。つまり、原初の大分県を復元できないか、と。」

 

 

 

いや、本当は、別のジャニスに行きましただとか

もうすこし映画や展覧会に行きたいです、だとか

色々書いてみたのだがどれもさっぱりで、

書いて消してを繰り返すうち嫌になってしまい、

もういいやこれで、これでいいや、そんな東京は夜の二十三時二十分

引越しました。

もう一ヶ月以上も前になってしまうけれども、引っ越した。

横浜市の辺境にある実家から、都内へ、

洗面所もない狭小なワンルームに一人で暮らしている。

以前も実家を出ていたが二人で暮らしていたのだけれど、

一人暮らしというのは実のところこれが初めての経験で、

何をするにも新鮮だし、何をしてもおもしろいことだらけ。

しかし、何も分からず、何も知らず、何も出来ないことが、一々恥ずかしくもある。

自分にとっては目新しい発見も、周囲の友人にとっては十年前に通った道だ。

 

そもそも一人で生活するというのは

ある種の特殊能力のように考えていた節があって、

なんとなく、飯を炊き、部屋を片づけ、着るものを洗っては干すというのは、

それがたとえば両親の出費で維持された一人暮らしであろうと、

自分のような自堕落な人間には到底なしえない偉業のように思っていたのだが、

やってみると、これといって難しいことはない。

もしかしたら、潔癖症の人間が見たら卒倒するような

とんでもなくいい加減な生活をしているかもしれないが、

それでも、こうも安価に手軽に電気やガスが使える今時分、

人間は余程のことでなくてはくたばらない。

 

花見の前に桜が散ってしまうかしらと話題になっていた4月の初めに

特に相談なく、物件を内見し、契約書の連帯保証人欄に

父のサイン、押印を求めた時、普段から過保護気味の母は

体調を崩して寝込んでしまった。

よほど重病かと思ったが、どうやら本当に

息子が出て行くことのショックが原因だったようだ。

まぁ妹も就職したし、子離れのいい機会ではないだろうか。

 

 

 

 

愛し愛され

私は果たして愛されるのだろうか、いや

私ってとうとう愛されないのではないだろうか、

という不安は結構ポピュラーな悩みのようで、人からよく聞く。

あんまりによく聞くので不自然に思ったことがなかったが、

よくよく思い返してみれば自分自身はそのような懸念を持ったことがない。

モテないとか言ってるじゃないか、といわれるかもしれないが、

そう考えてみるとモテというのは愛から遠い概念だと捉えている気がする。

モテは軽薄な方がいい。

 

自分は万人に愛されるような人格では全くないし、

どちらかといえば人よりイヤなやつだと思うのだけれど、

なんだかこんなんじゃ人に愛されないと思ったことがない。

異性と付き合っていても、そういうことを疑ったことはあまりない。

最終的にどういうことになっても、すごした時間を疑えない。

 

どうしてこう育ったのだろう。両親に常に関心を持たれたからだろうか。

両親に愛されなかったとインターネットに書き込む奴は多いのだが、

両親に愛されました、とわざわざ親の生きているうち書く奴は少ない。

葬式帰りに言っても伝わらないだろうし、ブログに書いてもどうせ

伝わらないが、両親には愛してもらった。甘やかされたとも言う。

とかく、生きやすいように生まれてきたようなのだから、

どちらさまがたかに感謝しておかねばなるまい。

 

 

 

 

もう若くない、と言うつもりはないが、もういい歳になってしまった。

なぜだか産まれてこの方ずっと、「もう◯歳なのに」と思ってきたと思う。

フィクションのなかの年齢設定を真に受けてきたのだろうか。

中学から高校に上がれば何かがあるものかと思ってみたものの

セックスもドラッグもロックンロールもない。

日頃、最大の危険といえば町田で声をかけてくる黒人の

ひんやりとした手ぐらいのもので、終わりなき日常とは甚だこの事だ。

あぁ、普通って嫌だな退屈だな、と

畢竟、普通すぎる想いを抱えて悶々としていた。

 

十二歳の頃は歴史上名だたる早熟の天才と、まだ見ぬ可能性という点では

まったく肩を並べて勝負できていたのだが、歳をとってくれば

どんどん勝負できる天才も減り、とうとう遅咲きの秀才と勝負し始め、

探す遅咲きもなかなか見つからなくなってきたところでやっと

あぁ違ったな、俺は天才じゃなかったのかもな、と思い始めるに吝かでない。

 

ところで一行目を書いてからここまで全くそんな事は書くつもりはなかったが

何行書いても本来書きたかった事に繋がる気配がないので打ち切ろうと思う。

本来書きたかったのは、もう三十歳近くにもなるのに今までずっと

文体というものを知らなかったということだ。

 

この一年ぐらい、文学を好きな知己や、本を何冊か読んだ事でそれに気づいた。

何かが著されているということについて、なにが著されているかについては

違いがあることに気づいていたのだが、どう著されているかについては

特にこれといって違いを認識していなかった。

そういう概念があることに気づいていなかった。

だってなんだか高度に抽象的な概念じゃないか、と思う。

例えばそれは人間の数を数えるのに小石を使うような、そんなことだ。

原始人なら人間は小石ではないのだから、小石を数えて

人間の数が分かるはずがない、と、そういう風に思うだろう。

つまり、今まで同じ事に対して違う書き方をしている文章を見かけたら、

それは違うことを書いている文章なのだと認識していたというわけだ。

 

当然読む方もそうなのだから、書くほうなどはもっともっとそうだ。

何が書かれているかしか頭のなかになかったので

何を書くかだけを気にして書いてきた。

どう書くかという世界に気づいてみると、それはまあ

一つの物心というやつで、三十手前で気づくことではないな、

そう思いました。ちゃんちゃん。

冬 住まう

用を足して廊下に出て無造作に息を大きく吸い込んだ折、

空気が無臭であることに気づく。

少し前はよその家のにおいがしたものだ。

まる二年間、実家を出て暮らしていて。

その実家にふらっと戻ってきてからもう一年経つ。

 

自分が都心の方へ引っ越していったのと入れ替わりに、

友人夫婦が実家から五分ぐらいのところに引っ越してきた。

かつて出て行きたくて出て行ったこの土地に、

見知った友人が好き好んで住まおうとするのはどうも不思議だ。

横浜の、東京を中心としたドーナツ化現象の一部になっているこの街で

別に混みいった人間関係がご近所に存在するわけでもないのだけれど、

ただ、どこに行くにも半端に遠いこの場所が好きになれない。

 

その友人夫婦もどうやら近々出て行く。吉祥寺の方へ引っ越すのだとか。

今日は出て行く記念のパーティなんだそうで、おじゃましてくる。

そういう季節なのだし、自分もまた引っ越したいという気持ちになっている。

2人やら3人で住めば経済的には楽だろう、けれど自堕落な自分はきっと

一緒に住む人間によくないだろうから、出来るなら1人で暮らしたい。

と、言いつつも、まぁ2人でもいいかな?と思うこともある。

2人、3人でもいいから引っ越したいという友人は何人かいるのだ。

まぁ、どちらにしろまた出ていきたいという点では同じ。

 

去年一年は何度か旅行をしたものだけれど、元々自分はあまり

生まれ育った土地を積極的に離れたりはしてきていない。

東京の病院で産声を上げ、ベッドタウンに移り住んで育ってきた。

上京するという選択肢も生まれつきない。

本当のところ、アメリカの片田舎にいるような、

産まれてこのかた毎日みているあの山の向こう側をしらない老炭鉱夫と

大した違いはないのかもしれないな、と近年良く思う。