出会う
twitterを始めてから、ネット越しに知り合った人と
実際に会ってみる機会が大変に増えた。
昔は顔も知らない人間と待ち合わせる事は
妙に如何わしいように思っていたのだけれど、
今では如何わしいと思いながら楽しいのでよくやっている。
「君たち、人殺しの顔を見たくはないのか」とはいうが
たとえ人殺しでなくても知った人間の顔は見てみたいものだ。
どんなツラなのか拝んでみたいという欲求が強いので
写真共有サービスのページは最後まで繰ってみる。
なるほどこんなツラかという納得を得てみる。
そうまでして顔をみたはずなのに、全然顔知らん状態で
会ってそこで驚く方が楽しいなぁと段々感じてきた。
文章だけ読んで勝手にどんな人物なのか想像するのは楽しい。
会って二三言しゃべるのが輪郭だとしたら言葉は内蔵で、
内蔵のなした輪郭がどういう形をしているのかの答え合わせは
それがあっていようといまいと楽しい判じ絵のように思う。
知らない人間をこんな人間だったのかと察するのもいいのだけど
知っている人間の書く文章を読むと、時にまったく自分が
その人間に関して知らなかったのだと思って驚く。
ふわふわした人間や、これといって饒舌でない人間が
時におかしな理屈や毒を唾棄しているさまに出会う。
隣人が月の光を浴びて狼男にでもなったかのようで、
見知らぬ人間が見知らぬ人間だったというギャップよりも
よほどギョッとするものがある。
いまはどーでもいい存在みたいになってるmixiだけど
そういう体験をするには良い仕組みだった。