生きる

割り箸を一膳割って、ゴミ箱に放っておくと生活感が出る、

というようなことを以前書いた。

きっとこぎたないセロテープも似たような機能があるに違いない。

生活感というやつはなんなんだろう。

なんとなしに、つるんと清潔で

生活感のない空間に憧れてきたのだけれど、

急におかしいように思ってきた。だって生活しているのだし。

 

大昔の、飛脚がいたような時代の日本には、家屋の中にものが少なくて

外国に嫁いだ女性は、部屋の中にあんまりにものがあるので

家をまるで納屋かなにかだと思ったのだ、と物の本で読んだ。

まぁ、確かに大河ドラマを見ていても家の中には特になにがあるわけでない。

だからといって生活感がないかというと生活感はあるし

特別汚らしいという感じもない。

 

なんでこんなに今の日本の家にはモノってやつが多いのか。

小学生の頃に、各国の家の中から全部物をだして家の前に陳列し

住んでいる人と一緒に写真を撮る、という写真集を見た。

アフリカっぽい人達なんかはスーツケース二個分ぐらいの容量しかなかったし

先進国となるとグッと多くなるのだけど、その中でも

なんていうか、日本はすごく多い。

きっと自分の家にあるものを全部外にだして積み上げたら

大変なことになるだろうなって思うけど、

やっぱり大変なことになっていた。

 

そーいう写真をみて、小学生だったし、学校で先生が持ってきたのだし

日本は豊かだね、とか無駄が多いのだね、とか言ったものだけど

今も大して感想が変わらない。豊かだし無駄が多い。

ただなんか、もしかしてこれはキレイじゃないかもなぁ、とか

思うようになったかもしれない。

無駄なものが多いから生活感が出るのか、というと

ティッシュは生活に必要なわけだし、どちらかといえば

無駄なものが多いほど生活感が良くないものに感じるのだろうか。

 

 

 

 

 

文章には起承転結というか、あぁなってこうなって、こうなりました、

というのがあると思うのだけど、

最近、べつに投げっぱなしジャーマンでも書かれたものは

文章になるんだなぁっていう事が分かってしまい、

じゃあまぁいいかって事で投げっぱなしなママ

最後にマルをつけて、まぁいいや、みたいな事を思ってる。

 

なんとなく、大学受験で小論文を書かされた影響を引きずっている気がする。

美大受験の小論文だから大変平易なもので、確か文字数も四百字程度。

今思うとtwitterで3post分の文章を書くのにどんだけ唸ってんだって感じだけど

どーも賢くないのでいつもウンウン唸って泣きそうになりながら書いたものだ。

今でも忘れない、性別だか男女だかについて書けと予備校の定期試験で出たのだが、

他の問題を解くことに精一杯であったせいか、

論文のネタが何も思いつかずすっかり混乱してしまった。

 

その結果「無性生殖の場合を想定してみよう、細胞が分裂して徐々に二人になる筈で…」

などとSF小説の成り損ないか、あるいはふざけて書いたみたいな文章を

解答用紙に殴り書いて提出するハメになり、時間切れの瞬間は頭を掻きむしった。

おまけにその答案はコピーされ保存され、回覧された。穴があったらなんとやら。

そのた多種のトラウマのようなものが未だにその残滓を残している、きがする。