シガーロス

ブログとtwitterと本人が別人みたいだと言われることがあって、

はて基本的には同人格なのだけど(当たり前です)、と思っている。

思っているが、よくよく思い返してみると、大概の知り合いが

本人とtwitterとブログに乖離(大なり小なり)を見せていて、

あるいはtwitterとブログの文体に雰囲気の違いがある。

なるほどそういうものなのか、と(感じた)。

 

声を発して喋る時に相手によって全く違うように

文章を書くときはメディアに依存(いそん)して人格が変わるのか。

紙に日記を書き付けていた頃の内容も全然違ったし

MOに.txtで打ち込んでいた時の内容も違った気がする。

(ちなみに一時期、mixi、MO、ノートに一日三種の日記を

つけていた頃があった。そんなに何を書くことがあったのか。

しかもMOは大学で紛失してしまった。アレを誰かが読んだかと

思うと夜も眠れぬ上喜撰(じょうきせん)。

ハタチが贈る惚れた腫れたの実名話や、

溢れんばかりの自意識、葛藤!全米が懊悩!乞うご期待!死ぬ!)

 

それにしても体験というのは一定以上増やしようがない。

人生で過ごせる時間に拘束される。

だからMOをなくしててんやわんやするにも

たっぷり書き綴った半年となくした一日が必要だ。

それをここに書き込んでしまえば話題としてはそれで終わり。

自分の人生からコンテンツを切り出すには限界ってもんがある。

半年と一日かかる体験も文字で読めば三秒もかからない。

日記詰めたMO落とした奴がいるらしいぜ、と、

言うのはあんまりアウトプットのコスト対効果かわらないのだが

インプットのコストがぜんぜん違う。

だから本を読むんだろうな、皆。

いや、飲み屋のチャンネーにおもしろ話がしたいって

矮小な話じゃないですよ。(そういう飲み屋いったことないです)