本を読む

 

本を読むのが遅いわけではないけれど、速くはない。

読みたい本はたくさんあるのに、読みたい気持ちだけが

先を歩いて行く。悔しい気持ちになる。

本を読むのは時々ものすごく楽しい。

本当に楽しい本を読む時は鼻先と紙面が

溶け合ってくっついているように感じる。

いつもそんなに楽しいわけではないけれど、

いつかそんな楽しい思いが出来るだろうと思うと

読んでみたい本がたくさんになる。

 

読んだとて結局、読んだ本の内容を殆ど憶えていない。

一時期は憶えてないことを負い目に感じて、なんだか

いっときの娯楽にそんな時間を費やしていいものかと

思っていたのだが今は考え方を変えた。

結局本を読んで何かが身になるというのは、

一冊の本に何か特別素晴らしい内容が書いてあって

そのことに感銘を受けて行動が変わるとか、

少なくとも自分にとってはそういうことではない。

 

本を読むというのは壁紙が日焼けするようなもので、

一日や二日ではこれといった変化はない。

五年間窓を開け続けてやっと、ポスターをはがしてみた時に

「あ、もとの壁紙はこんないろだったのか」と気づくような。

目に見えるのに積み重ねと寝かしておく時間が必要なのだな。

あるいは、頭で文章を追っかけて理解する過程そのものが

何らかの運動みたいなものなんだろう。

 

と、いう風に自分を納得させるようにしている。

 

しかし、思い返してみると高校や大学のはじめごろまでは

ベッドサイドは常によりすぐった文庫本が置かれていて

夜になると寝っ転がって何度も同じ本を読んだものだった。

最近それをしないのは本を売ってしまったからだし、

本を買わなくなったからだと思う。枕元においておく本がない。

 

よりすぐった本が言って格好がつく本だったらよかったのにな。