旅行の顛末 1

本日8月16日より書き始めるが、色々物事が多く
書き終えるのが何日になることか分からない。
また内容のうち同行者の個人的な情報でマズいものがもしあったり、
あるいは記憶違い、もしくは無意識の誇張などがあった場合
公開後に多少の修正もはいることとおもう。
 
概要 
 
先週末、8月11日土曜から翌週月曜13日にかけて、
関西の方へ18切符を用いて鈍行旅行に赴いた。
行きはF、Y、Nと友人三人連れ立っての旅だが
帰りは別々、うちFとYの二人にとっては旅行兼帰省といったところ。
私個人の旅路は東京→滋賀→山梨(甲府)→東京 となる。
 
前日
 
Y、N、私の三人は土曜の始発で出発の予定のため、
唯一都内住まいでない私は前日金曜に都内に前乗り。
池袋からほど近いNの住まい(実家)に一泊させてもらった。
Nの部屋は六畳ほどの畳敷き和室だが何もなくて驚く。
ちゃぶ台のような低い机にMacBookがのっていて
部屋の脇に何冊かの本とギターが床置きしてあるだけでほかは何もない。
ティッシュもゴミ箱もない。ノートやペン立てや掛け時計も
デスクライトもない。引越したての部屋から段箱をなくしたような、
あるいは漫画で言うならGANTZが鎮座する部屋の印象に近い。
持ち主がどうかはしらないが部屋は尋常とは言えない。
 
その飾り気がない部屋に布団をふたつ、
どかんと引いて二人並んで寝た。
 
一日目
 
翌日、朝は四時に起き、池袋四時半発に乗り込む。
品川合流予定のYに連絡がつかない状態となったが
前日徹夜で仕事に根を詰めていたYが寝ていることは想像が容易だった。
とくに心配することもなく朝食を取りつつ駅構内で待っていると
Fからの電話で目覚め、遅刻に血の気が引いたYから連絡が入る。
連絡から数十分後、予定から一時間遅れて合流、出発。
 
一路東海道本線を西へと向かう。正直、同行者に促されるまま
乗り換えなどしていたので、此処から先もはや何処をどう通ったか
記憶がなく、こうして書いたものが恐らく正確でない。
ところで、横浜市にもう三十年近く住んでいるのだが、
品川から横浜まで川崎を挟んで二駅でついてしまうとは知らなかった。
東京と横浜、そんなに近かったのか。
時空間がねじり曲がったように感ずる。
 
私は地理がものすごく苦手で、小学生の頃は
長崎が東北だと思っていたぐらいだし、
実家から歩いて五分程度のところが川崎市だとはこの前知ったほどだ。
横浜市といっても広く、海が見える所のほうが少ない。
横浜駅には片手で数えても余るほどしか行ったことがなく、
行ったことがない場所は全く土地感覚が分からない。
 
地理が苦手な上に旅慣れもしておらず
見る風景が一々新鮮なのだが、今回の旅では一々驚いてみせると
山手線の長さに驚くおのぼりさんのような、世間知らずのようで恥ずかしい。
なので色々見聞きして感じた事は、いくらか心にしまわれることになった。
 
ただし新鮮とは言っても、東海道本線は意外と面白くない。
熱海あたりまで海が見える時はいいのだが
静岡を横断している時は延々横浜線の長津田から八王子にかけてを
通過しているような面白みに欠く風景が延々続いている。
いや、あるいは何かを感じたのかもしれないが
乗客に巨大なリュックを背負って帽子を被った行楽客が多いため
情緒に欠け、また混雑故に長距離長時間を立って過ごした為に
あまり物事を憶える余裕がなかったのかもしれない。
 
静岡というと友人の出身地でもあるのだが
沼津やらなにやら聞いたような地名も知らぬ間に通り過ぎ
富士山も視界に入れることがなかった為に、感慨もなく
茶畑か八王子もどきを眺めるだけが3時間か4時間ほど続いた。
 
そこから愛知に入り、金山でFが乗り込んでくるが
自分らの乗っている車両が何号車か誰も把握できず
席で合流するにはそのあと数駅を費やした。
既に十時を回っていたがまだ十時とも言えるし
朝起きた時間からは六時間も経っているとも言える。
 
この瞬間、関西出身のFが合流したことでYの口調が
関西弁寄りのイントネーションになったのだが
Fは終始関東のイントネーションで話していたので
その不均衡がなんだか面白く感じられた。
ちなみに滋賀ではY実家に泊まらせて頂いたのだが
Yの家族で在宅であったお母様と妹君二人とも
どちらかと言えば関東風に話していた。
つまり関西まで行ったこの旅で、触れ合った主な人間のなかでは
関西弁らしき話し方をしていたのはほぼYだけになる。
だからどうだというわけじゃないが自分には何か面白かった。
 
どうも全くの異国語であればいいのだが、
適度に共通点があるが若干違いのある者に囲まれると
一つ目国の寓話を思い出してしまい何か恐怖を催す習性がある。
思えば、小学生のとき金沢あたりから後の親友が引っ越してきた時、
彼には若干の訛りがあったため、みんな彼のことを
関西弁関西弁と呼んでからかったものだ。
どうも心の奥底でそのこと思い出すのかもしれない。
 
確か合流後すぐ名古屋についたことと思う。
愛知、名古屋は多くの友人が故郷とする地だが
全くそんな感慨を憶える暇なく通りすぎてしまった。
むしろそのあと移動速度が静岡県内に比べてあまりに速く、
まったくすごいなと感心していた。
 
まだ一日目の午前なんですが全然書き終わりません。
続きはまたにします。