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旅の顛末(終)

友人と一杯ひっかける為だけに甲府まできた。

甲西→甲府と甲西→東京は時間がほぼ変わらない。程々に遠い。

こんな強行スケジュールを組んだがために私の旅行だけ日程がいくらか短くなった。

 

彼は小学生時代の親友で、中学に上がってからは学校も別々、

二年か三年に一度会ったかどうか。最後は十八歳で会ったっきりだ。

つまり中学で一度、高校で一度会った程度で、それから十年も会っていない、と思う。

地元の情報網なのか、彼が東北大学へ進学したのは母を通して知っていた。

在学中はこれから一生、東北で森の研究をして生きていくと言っていた彼だが

今はどういう経緯か甲府で新聞記者として記事を書いている。

 

それを知ったのが311の震災の時だった。被災から数日経って東北大の彼を思い出し

Googleの安否情報検索をあたった。しかし情報はない。

改めて普通にweb検索で名前を打ち込んでみると、いきなりトップに震災の記事がきた。

検索結果を見た瞬間ヒヤリとした。もしかしたら死んだのかもしれないと思った。

何百何千という死体が海岸に打ち上げられ始めた時期だったが

よほど珍しいか事情のある死に方をしたせいで名前が載ったのかもしれない。

ところがクリックしてみると名前が載っていたのは記事の最後、

記者署名欄に彼に文責があると書いてある。

 

彼の名前は出生当時流行っていた漢字を含むポピュラーなものなのだが

姓は珍しく、知り合い、有名人、フィクション問わず同姓を見た記憶がない。

なので先ず間違いなく本人だろうと思いながらも

森の研究と新聞記者では随分と違うではないか、と確信が持てず、

急いで確認することもなくそれからまたしばらく時間が経ってしまう。

それで最終的に確認がとれたのはfacebookのアカウントを発見した時で、

連絡を取ったのは今年の初めに盛岡までの鈍行旅行をした道中でのことだった。

 

震災の記事も書いているし、てっきり彼が仙台に住んでいると思っていたので、

仙台に立ち寄った折電話をかけた。ところが彼は甲府に住んでいるという。

大きく外して肩を落としたが久しぶりに声を聞き、つい仙台の商店街で長電話をした。

東京甲府間ならそれほど遠くはない、電話口で近いうちに飲もうと約束したのが

これがまた延々と伸びに伸び、冬が終わり春が過ぎ、

とうとうは夏も真っ盛りになってから実現した。

それもモノのついでという形で。

 

向こうの仕事が遅れていたので蕎麦を食って待ったが、それでも時間が余ったので

kokoriの出口にしゃがみこんで本でも読みながら待つことにした。

五分ぐらいで彼が姿を現す。

「おっす」「おうおう」「どこ行く?」

十年会わなかろうが先週飲んだばかりだろうがあまり変わらない。

十年後にあっても三十年後に会ってもきっとそうなんだろう。

「駅近いほうがいいだろ。終電何時?」「九時半ぐらい」

甲府で人を迎える事にも慣れているのかスムーズ。

 

飲み屋は駅を出てすぐ、ちょっと脇に入った所にあった。

串焼き屋で、雰囲気はよくもわるくもなく大衆的で、味はなかなかだった。

タバコを吸ってもいいかと聞かれたので、よしてくれと答えた。

よしてと言われても吸ったかどうか記憶にないが、

よしてと言われても吸うつもりだと言われたと思う。

吸ってもいいかは挨拶なのだそうだ。

もしかしたら新聞社の社屋には未だ、昔の映画で見かけるような

霧か霞みたいに煙草の煙が充満した部屋があるのかもしれない。

 

個人的には私の身体に煙が触れなければ誰がどこでタバコを吸おうと関知しない。

思うに飲み会では喫煙者がthe darkknight risesのベインみたいなマスクをつけて

煙が外に漏れないように吸えばいいのではないかと思う。

彼らはタバコが吸えるし私はまるで清流の傍らにいるような澄んだ空気が吸える。

 

森の研究者がどうして新聞記者になったのかというと、

大雑把に言って研究職は閉鎖的だし先があまりないということ、

商業的な関心を避けて出来る仕事という点で新聞記者は共通だった、

と聞いたような気がする。記憶が定かで無い。

 

普通の企業は利潤を追求するが俺達は違う、と、言っている。

普通の企業は、とかお前は、利益の事を考えるだろう、と言うのはいいとして、

お前らは、と言われたので少しムッとした。私は私以外の責任は負えない。

もしかして新聞社はパブリックのために働いてして私達が利潤のために働くとしても

そのどちらが立派かといったことは個人の理念なのだし、

自分に誇りを持つことは素晴らしいと思うけれど他人のことに

関しては別にいいじゃないか。楽しくやろう。

 

新聞記者は記事をあげればよく、出社時間も日も不定期らしい。

イメージ通りの新聞記者だなと思う。ちょっと格好いい。

時間がすすみ、酒も沢山飲んでいて、

一体なにを話したのかあまり思い出せなくなっている。

結構ずっと「俺はそう思わないな」みたいな話をしていたと思う。

意見は合わないが、話していて楽しい。次に会う時はもっと勉強してくるよ。

 

高校の最初の頃はジャズやウェザーリポートを聞いていた彼が

高校卒業直後あった時はアルゼンチン・タンゴとバッハになっていた。

ジャズは、なにか理由があって好きじゃなくなったらしい。

今はなにを聞いているのだろう。もう音楽は聞かなくなったのだろうか。

絵は描かなくなったのだろうか。今になって思えば色々聞きたいことはあった。

 

九時半近くになってお開きになった。おごるよと言うが半分出した。

呼んだ方がおごるものだと思っているけど、出すというならもらっておく、と

すぐに彼は受け取った。それでいいとおもう。東京に呼んだ時におごるつもりはない。

じゃあなと別れて甲府発の終電に飛び乗った。

甲府八王子間は普段なら軽く旅行だろうが、ここまでくると

もう、ちょっとそこまでに、ぐらいの距離感覚になってくる。東京が近い。

 

二時間半ほど乗って八王子に着く。高校の時はよくきた街だ。

それに関西からぐるり一周して戻ってきたことと重なって二重に懐かしい。

人の多さと、適度なダサさ、匂い、言葉。横浜線は変わらない。

東京に生まれて上京することも田舎を持つこともかなわなかったが、

東京を離れれば帰郷はいくらでも出来るのだな。

帰るためだけに離れるのも悪くはないのかもしれない。

 

横浜線は中高で六年、大学で五年間つかった路線で馴染みがある。

八王子、橋下、淵野辺、町田、成瀬、古淵長津田

どこも降りてなにがしか使い、思い入れがある。

しかし大学時代も使っていたことは今思い出した。

長津田駅に降り立った時に思い出したのはひたすら高校時代だった。

 

いよいよ青葉台に帰ってきて、三十分ほどあるいて自宅に着き

風呂に入って、泥のように眠った。