アイ、アムヨアファーザー(デーン)
私は貴方のお母さんじゃない、は男女間の常套句だが
臆面もなく「お母さんみたいな人と付き合いたい」という人を見た。
なんでも許してくれる、受け入れてくれる女性がいいと、
言うのだからまぁ、忌まれる要素そのまま志向していることになる。
グロテスクだな、とは思わずにいられなかったけれど、
自分も言われた試しがないわけじゃあないので
いっそ宣言してるぶん潔いのかと考えたりもする。
母と父は永遠に他人だが親と子は永遠に他人ではないという事を
どっかで気付いて、何やら人間て孤独なんだなって思ったり、
そういうのの一過程なんだろう、私はお母さんじゃないっていうのは。
あなたが存在していることが私の利益になるという状況の強度が
強固なほど愛は深い、と云えなくない。一面の真実らしき感じがする。
きっとさにあれば私はあなたを肯定するだろうから、
肯定されたいという欲求の求めた先の関係が
そういう状況になるのはけだし必然なのだな。
時々、無為に肯定されたくなる時があるし、
そういうもんなのかしら。どうなのかしら。たいのおかしら。
過不足なく肯定されるのは心地が良いことだ。
不足はともかく過ぎたるはなんとやらという部分が難しい。