オシャレ

せっかく都内に引っ越したのだから、

新宿に映画を見に行くにも自転車で行っちゃうよ、

などと調子にのってチャリンコ漕ぎだしたものの、

思ったよりもまったく時間がかかってしまって

結局上映三分前に到着していそいそとチケットを買った。

 

帰る道すがら、原宿から渋谷にかけての交差点、

信号を待っていると、甘い感じのブラウンや

ベージュでまとめたガーリーな格好をした

可愛らしい女の子がいて、チラチラ見ていた。

あー、ああいうの付き合うのもいいのかもな等と

よくわからん上から目線の感想を持ったあとに、

いやダメ、あれはダメと思い直す。

いいな、と思った格好をしているのが、なんだかダメだ。

というよりその格好に至ったメンタリティがダメだ。

 

オシャレやファッションというのは、自分にとっては、自己決定の

問題なんだろうと思う。

私が何者であるかを自分で決めるという事の問題に見える。

それと、少し不自然な事のように捉えている。

オシャレというのは、しなくてもいいことを

することだ、と自分は捉えているように思う。

何度も言った喩えだが、私服のネクタイ、アレだ。

別に付ける必要はまったくない。

あれは自分に言わせれば私が何者なのかと宣言しているに等しい。

小学生の時は、大体皆同じような格好をしていたのに、

なんだかどんどん色んな格好をするようになる。

 

「私はそれでいいのだ、そういうものなのだ。」

そういうものがなんだか怖い。

そういう自意識がどこで芽生えるのか、分からなくて怖い。

蛇かなにかのように得体がしれないように感じる。

これは多分、異性にヴァージニティを求めるメンタリティに似ている。